出会える自分

 今日も白熱する年長こま勝負。「やった~1位!」「地面の固い所(に落とせる様に)ねらったからね。」「よーし、今度はここ(巻き始めの所)をきつく巻いて勝負だっ!」「私は(ひもを芯棒の先から巻く)芯棒巻き!強いよ。」「僕は半分芯棒巻きにしてみた。」大人の技をどんどん覚え、子ども達が研究と練習を重ね始めると弱い大人はあれよという間に負けていく。「くやし~、練習して明日絶対勝ってみせる!」「次は秘密の技で勝負だっ。」殆ど子どもと同じレベル。そしてバトルは連日くり返される。
どの集団遊びもどの学年もこま遊び同様、子どもの力ががぜん増し、逆にまき込まれる。うれしくて楽しい、そしておちおちしていられない。

 皆で行う1つのものは楽しければ楽しい程意気があがり力がみなぎる。ふしぎだ。これを子どもと共に同レベルで遊ぶ大人の立場から分析してみると色々なものが見えてくる。こんなに夢中にさせるものとは一体何か。それは夢中になる時間のつみ重ねの中でわかり出す。競争が好き、(長くまわる為の)研究がおもしろい、皆とのやりとりがめっぽう楽しい、パワフルなのりが最高、大勢の中で力がわく、など同じこままわしでもその奥の夢中は人により違う。そして個人の夢中は再び集団によって刺激され、更なる自分の夢中をくり返す。
 次は何がわかってどんな自分に出会えるか、人によりどう変わるか、わくわくする。夢中の中ではじっくり自分と対峠する為、核心に近い所で自分は何が好きで得意なのか等が見えてくる。と大人目線でながめるとざっとこんな感じになる。

 幼稚園の中での子どもと大人。片や遊び(や園活動)中心、片や仕事というそれぞれやっている事は違う集団である。がその中で人生を今生きる者どおし、手にする共通の大きなものがある。それは1つの目的に向かい精一杯行う中で特別な自分に出会える事。年令や経験量によりわかり方は違うもののこの先のおおいなる自己発揮、生きる喜びへとつながる手がかりである。

 それにしてもこんな楽しい事を毎日続けられる場所はそうそうない。平和の中の幸せを感じる。現クラスでの生活もあとわずか、一人一人の力が大きくなってきた3学期、集団という力を借りてひと花もふた花も大きく開く様、精一杯援助していきたい。

タイトルとURLをコピーしました